御祭神
御由緒
保元2年(1157年)、比叡山の僧義圓が東国行脚の折、当宮の元宮という雑色村子丿神社に一夜の宿を借り、霊夢をみて白鳩に導かれ現在の地「龍頭丘の杜」に至り、ここに現われた童子(御主祭神・誉田別命)の霊言に従って勧進したと伝わる。五所宮の由来は、大分県宇佐に初めて八幡宮の勧進ありしより、石清水・鶴岡・壷井各八幡宮につぎ第5に当たる故という。
創建当時は源頼朝祈願所六十一社の1つとされ、頼朝に仕えた当地の豪族、中村荘司平宗平が守護神として崇敬し、以後三男土屋三郎、娘婿曽我太郎両家が祭典の供物を納めたという。
明治6年郷社八幡神社と改称。昭和43年献幣使参向指定神社となる。平成11年11月1日「五所八幡宮」と再改称し社号標を再建した。例大祭はかつて6月30日「禊祭り」として江戸の初期頃まで、近隣4地区の八幡神社の神輿が集まり盛大に行われていた。現在は変遷を経て4月29日となり『神奈川のまつり50選』に選定される。例年、神輿2基、山車4台が巡行し「五所宮囃子」が奏でられ、神幸祭では「鷺の舞」が奉納され、多くの参詣者で賑わっている。
以上、五所八幡宮文化の夜明け制作「五所八幡宮参拝のしおり」(平成29年3月)より
当日はこのしおりを配布、また、冊子「五所八幡宮」を1,000円で領布する予定です(写真)。